本稿では『ドキュマン』から 24 年の時を経て書かれた『ラスコーの壁画』と『沈黙の絵画― マネ論―』における人間性への問いを、バタイユが絶賛したカミュの『反抗的人間』を手がか りにひも解いていく。1950 年代のバタイユに重大な影響を与えた『反抗的人間』とその後に出 版された美術論を分析することで、この出会いによって晩年に至って彼の美術論がどのように 深化していったのかだけでなく、そもそもバタイユが人間を芸術や美という「未知なるもの」 に対峙させることの意義を主張しつづけた理由を解くための一視点がみえてきた。
50 年代の美術界は、アメリカのアクション・ペインティングやヨーロッパ各地に興ったアン フォルメルなど、激しい抽象絵画運動の最中にあった。そんななかで出版された『マネ』にバ タイユはこんな問いを提示している。―「芸術において、今日の人間の散文的な様相をどうす ればよいか」。どうやら彼は、芸術が人間の様相を現す鏡としての役割だけではなく、むしろ「散 文的」でない芸術、つまり「詩的な芸術」によって、私たちは人間としての道を得ることがで きると考えていたようだ。
多くの研究者が指摘するとおり、バタイユの 30 年代の美術論が、彼の思想家人生において重 要なテーマを多く生み出していたことは確かである。しかし、本稿において最も重大な問題で あったのは、初期の彼が「高いもの」と「低いもの」という価値や境界といったものを否定し、破壊することを推し進めていたのに対し、カミュの「正午の思想(=中庸)」との出会いによって、前述した「敵」をもはや相手にしなくなったということである。ただしそれは対象をまっ たく無視するということではない。相変わらず価値の転倒にはこだわってはいるが、それは、 より確実な自由を確保するための手続きとしてである。そこにはなにものにも縛られることの ない道を見出した彼の、軽やかな足取りが感じられる。
世間のしきたりに従うことは必ずしも従属することではない。なぜなら、驚異への欲望とい う過剰さから生まれ、そうして節度へと至る「反抗的芸術もまた、結局、『われらあり』をあき らかにし、それによってたけだけしい人間性の途を啓示する」のだから。そのことを本稿で取 り上げた作家と作品は示してくれている。
序論
第1章 夜の思想と正午の思想
第1節 「反抗的人間」をめぐって
第2節 踏みつぶされる蜘蛛
2-1 バタイユとシュルレアリスム informe
2-2 不定形、至高なるもの
第3節 完全な人間=遊ぶ人
第2章 最初の人間―ラスコーの壁画―
第1節 「人間」の誕生
第2節 奇蹟への欲望
2-1 死の意識と労働
2-2 ラスコーにおける「違反」
第3節 最初のためらい
第3章 「雄弁の首を折れ」―マネ論―
第1節 詩的な絵画
第2節 絵画における供犠
2-1 マネの(芸)術
2-2 聖なるものは不在である
第3節 マネと「夜」
3-1 凡庸な作品の秘密
3-2 あたりまえの男の透明さ
第4章 至高な芸術のひと
第1節 人間のかたち
第2節 不定形な「私」
第3節 描く、実存への試み
結語
あとがき
松田 真莉子