論文
紙、くるみ製本
2100×148
本論は、近年の映画鑑賞を背景に執筆されたものである。レンタルDVDや、はてはインターネットを介して、我々は様々な形で映画を観ている。すなわち、今日において映画館へ足を運ぶことは映画を観るための選択肢のひとつでしかない。しかし、かつて映画は映画館でしか観られないものであり、大衆や社会への強い影響力を持っていた。見知らぬ誰かと暗闇で共にいることが、映画がこの世に生まれた時の、本来の姿であった。それにも関わらず、映画館はいま減少の一途を辿り、映画観客は他者と同じ時空間を共有することなく孤立化の傾向を強めている。一方で、今日では美術館での映画の上映が顕著になりつつある。また、アーティストによる映画が制作されたり、映画監督による美術作品が制作されたりしている。
そのようななかで、私は一人の美術学生、映画好きとして、両者がつくる展望を明らかにしたいと思うようになった。その結果として、私が敬愛し、常に映画と人間への愛に溢れている映画作家の一人である蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の作家分析を行うことにした。彼は、近年ルーブル美術館の依頼で長編映画を制作するなど、美術界との関わりが認められ、彼の作品群を分析することで、映画鑑賞の本質と今後の展望を明らかにしたい。
また、論文に加え、今回は作品《Daily Our Cinema Life》の展示も行う。個人に映画鑑賞に関するインタビューを行い、映画鑑賞の様子を撮影したものをマルチモニタにて上映。
目次
序章 蔡明亮、あるいは静かなるダイナマイト
映画観客をめぐる展開
今、我々を支配するもの
ダイナマイトを抱えて
第一章 空間の接続、不可逆性、離陸する歌声
聴取点
音楽の自律性
天を仰いで
まとめ
第二章 徘徊する映画観客
観客の系譜
「誰でもない」の欲望
私物化される映像
まとめ
第三章 映画観客のセクシュアリティ
引き裂かれる性
声の両義性
性とアイデンティティの可動性
まとめ
第四章 シネマとアート
it’s dream, erotic space Ⅱ
完全映画の神話
美術との再接近
映画とビデオアート
まとめ
終章 映画、あるいは永遠の再誕
革新的映画復古
映像と欲望の奔流のなかで
再誕のために
担当教員:髙島直之
台湾の映画監督である蔡明亮(ツァイ・ミンリャン、1957~)の作品分析。映画館が衰退しレンタルDVDやインターネットを介する映画鑑賞の増大にあって、蔡は台詞と音響・音楽の調和的な働きを破壊し、映画内映画の挿入や性倒錯によるジェンダーの超越によって、映像を眼差す主体のありかを撹乱する。本論は、映像分析を通して父性的言語秩序や母性的自然調和から逃れ去る、流動する新しい主体の獲得とその可能性を示唆するものである。