論文
くるみ製本
297×210
フルクサスを創始したジョージ・マチューナスは、その活動に向けて記したマニフェストにおいて、「芸術家は何でもが芸術になり、誰でもが実践できるものであることを証明しなければならない」として示し、自らの目指す芸術を「ローアート」として標榜した。その実現のために「生活の芸術」を志向したフルクサスは、日常的な動作や日用品を作品の題材として取り上げていく。フルクサスの作家であるディック・ヒギンズはこの傾向を「インターメディア」と提唱し、既存のジャンルに区分出来ない作品として定義した。ヒギンズにとってこの概念は、芸術におけるジャンルだけではなく、これまで隔てられていると思われていた「生活」と芸術という境界を流動的にすることも意味していた。しかし、「生活」とは日常の中で無意識に行われるものであり、芸術とは意識的に作られるものであるという根本的な差異がある。そのため、フルクサスは芸術のなかに私的な「生活」というイメージを擬似的に作り出し、敢えて公共的な芸術というイメージと対比させることで強調した。そして、このイメージの齟齬が「生活」と芸術の「インターメディア」を生じさせることになる。
また、フルクサスの作品は「指示」を内在しているものであり、鑑賞者はそれに従うことでパフォーマンスを行うことになるという特性を有している。さらに、コンサートという形式をとる「パブリック・パフォーマンス」と、鑑賞者によって行われる「プライヴェート・パフォーマンス」という形式に作品を分類し考察を行った結果、フルクサスは鑑賞者が作品を実践することによって、これまでと異なる日常体験を目指していたことがわかった。さらに、フルクサスにおける「インターメディア」とは芸術を開かれたものにする手段であり、慣習的なものの見方から解放するためのものとして機能していたといえる。
担当教員:田中 正之
小野寺の論文は、これまで日本語による本格的な学術的研究が十分になされてこなかったフルクサスを扱った大変意欲的なものである。近年刊行の続くフルクサス関連の資料集成を丹念にあたり、実際のフルクサスの活動の意義を解明しようとした。とりわけインターメディア性に着目した点は重要。パブリック・パフォーマンスとプライベート・パフォーマンスなど彼女独自の概念を用いながら分析をしている点も高く評価できる。