武蔵野美術大学 造形学部卒業制作 大学院修了制作 優秀作品展

聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと

百瀬 文 油絵コース

映像
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25min

初めて木下さんと会った日の帰り道、私は夕暮れの渋谷を木下さんの後ろについて歩いていた。
すたすたと軽い足取りで坂道を登っていく木下さんの背中に向かって、私は息切れしながら思わず
「待って下さい」
と呼びかけた。次の瞬間、あっ、と思った。
返事はない。木下さんは振り返らず、変わらぬペースで前を歩き続けていた。
私の声は、決まりの悪い子どものように空中に投げ出されたままぼんやりと漂っていた。
たかだか距離1メートルもない、アスファルトの舗装でつながった「そこ」と「ここ」の間に、圧倒的な世界の狭間が開いていくのを肌で感じた。

恐ろしいのは、自分たちは普段何を話しているのか、ということが暴かれること。
その不安の中に暴力というものを見いだすのなら、それが一体何に対する暴力なのかを考えてみる必要がある。
その瞬間画面に映っているのはむしろ、私たちのまなざしの方なのかもしれないのだから。

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担当教員:袴田 京太朗
耳の不自由ないわゆる聾者である「木下さん」への、作者自身によるインタビューのかたちを借りた20分を超える映像作品である。様々な質問に対し巧みに唇を読み、幼少期からの特異な体験を語っていく木下さん。その内容は、障害者の問題にとどまらない「表現」における重要な問題を含んでおり、鑑賞者は思わず引き込まれる。そして映像は、最初、なにかの間違いとも思われたインタビュアーの意図的な「同じ唇の動きによる誤発音」という、常軌を逸したきわどい状況に突入する。それをある人は素朴に面白いと感じ、ある人はあからさまな不快感を覚えるかもしれない。しかしそれが次の展開では、2人の会話内で語られた極めて重要なキーワードである、「ことばが剥がれる」とぴったり重なるように、インタビュアーのことばがこつ然と消える(剥がれる)。そうして唇だけが奇妙に動く静けさの中、それに気付くはずもない聾者の繊細なことばだけが、なにか特別な輝きをもって沈黙の中に刻み込まれていく。リアル(真実)とフェイク(つくり事)が交錯した例えようのない瞬間。そしてそれは「表現とはなにか」という根源的な問題に、からだの一部をもぎ取って差し出すような、衝撃的な解答でもあろう。